ブラックマンとの出会いは去年の四月で、俺がちょうど日本に来たばかりだった。
その時の俺は、初めて海外に一人暮らし始めたので、人恋しくなってきた。コンビニに入るそばから、何となく誰か話し相手にしてくれたかった。そういう事は国に自閉がほしかった俺にとって、不思議だ。
本題に戻ろうか。あのね、その日、新宿駅の近くに、歌っているブラックマンを発見した直後、興奮してきた。特に、彼らは手を上げたり、目を閉めたり、するポーズは人を引き付けるものがある。彼らは青山洋服を着たり、三浦友和に似たり、しなくでもかまわないの。その瞬間は、今までも印象に残っているし。写真もパソコンに乗せている。現場で話しかけた上で、ブラックマンらが教会に属することが分かった。実は、同時に演奏しているあるロックバンドも注目されていた。ですが、フォークソングに熱中するブラックマンらば何とか力の限り歌っていた。
年齢、スタイル、注目度を問わず、自分の舞台に俺しか主役がないのだろう。
だって、全ての舞台はある期限をもって消えてきたものだ。でも、それに対する悟りなくして(は)、舞台なんでとんでもない。
今日は、26日になった。相変わらず、こういう舞台に、俺しか主役がない。日常茶飯事なんか続いて書こうか。
午前、35歳まで20回首になっていた「ダメ人間」を描われる漫画を読みながら、「生きることだけで、精一杯しよう。結婚が無理だし、子どももいらない。自分と同じな「ダメDNA」を生みたくない。」という日本における絶望社会を認識した。
午後、日本人ボランティアのおじさんに半年ぶりにあった。いくつかの栄養があるインストントスップをいただいた。
夜、お母さんの電話をもらった。生活の余裕があるかどうか聞かれてきた......
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